叩き上げのスキルを持ったカウンセラー杉田義晴のプロフィール

2024年12月4日

最初にまずメンタル心理エキスパートの代表である杉田はどんなカウンセラーなのか?

一言で言わせてもらいます。

クライアントさんの様々なお悩みと正面から向き合ってきたまさに

実践で磨き続けてきた叩き上げのスキルと研究心を持った

そんな人物です。

 

NLPカウンセラーとプロ養成講座講師

 

出身地と名前

神奈川県小田原市生まれ
杉田義晴

職歴

サラリーマン、飲食店アルバイト、土木作業員&現場監督、重機オペレータ、「身体と心」に関する企業の代理店を経営し、成功哲学、カウンセリングの技術、コミュニケーション能力スキル等を実践で10年間学びました。

認定資格

・米国NLP協会認定NLPトレーナー
・米国NLP協会認定マスタープラクティショナー
・米国催眠療法協会認定セラピスト
・ITTO認定上級ヒプノセラピスト
・EFTプラクティショナー
・ソース公認トレーナー

リチャードバンドラー氏との写真
NLP創始者リチャード・バンドラー氏とアメリカにて・・・。
(この写真は米国NLP協会の許可を得て掲載しています)

ご相談にのらせていただいた悩みと症状

対人恐怖症、対人緊張、人間関係の悩み全般、適応障害、うつ病、パニック障害、各種恐怖症、強迫性障害、解離性障害、摂食障害、依存症、アダルトチルドレン、イップス、トラウマ(複雑性も含む)、書けい、不登校、生きづらい、失恋、自己肯定感が低い、自己受容、性格改善、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)、禁煙、目標達成のコーチングなど

 

自己否定、気弱、小心者で不登校、対人恐怖症、強迫性障害を経験

このホームページを見ている人の中には、「自分には生きる価値がない」「自分が嫌い」、「人に嫌われるのが恐い」「自分に自信がない」「自分なんか生まれてこなければよかった」「いつ死んでもいい」」と思っている方もいらっしゃるのではないかと思います。実はこの思い込みがわたしの中に約30年間もあり苦しんでいたのです。ですから以前は劣等感のかたまり人間でその影響でか、人間関係が上手くいかず転職を何回も繰り返してきました。そこで簡単に私の心の問題年表をご紹介します。

幼稚園のとき・・・不登園と拒食症になる。

幼稚園に行くのがいやでいやでたまりませんでした。
でも両親に反抗もできず強引に行かされて、あげくのはてには母親が作ってくれたお弁当をほとんど食べれなくて、毎日怒られて母親が強引に食べ物を私の口に必死で入れていました。そして私は口に入れた食べ物を「おえ~」って出してしまう。

また怒られる・・・この繰り返しで日々安心できる場所がなかったです。
今だからわかりますが、母親も必死だったと思います。

しかし、ちゃんと自分の気持ちをまだ伝えることができない幼いときの自分は母親に大切な何かを知ってもらいたくて「おえ~」って出していたんでしょうね。

小学校低学年のとき・・・両親の離婚と父親からの虐待と不登校

とにかく学校に行くのがいやで、毎日緊張状態で胸が張り裂ける思いでした。でも不登校すらさせてもらえませんでしたから、給食が食べれず毎日夕方まで学校に残されていました。

ちなみに授業参観のときも一人で教室で給食を食べていました。惨めだったです・・・情けなかったです・・・その上家に帰ってからも母親に「お前だけ給食食べていて、みっともね~」って怒られたことをよく覚えています。

父親からは毎日のように「お前は俺の子じゃない!」「女みたいにぐちぐちしやがって」「意気地なしだ」って言われ続けていた。アルコール依存だったため母親に暴力をふるったり、ときには私にも・・・。母親はまったくかばってくれず・・・。

そして4歳下の弟には「お前はオレの子だ!」と可愛がりその比較がハンパではなくすごかった。

両親が離婚する時に親権問題になり父か母か、どっちが子を引き取るかという話になりました。

私は父親から目の前で「お前はいらない」と言われ、次に「お前みたいな意気地なしは刺す」と言われ近くにあったナイフでお腹を突きつけられました。それを見たおばあちゃんが私を救ってくれましたが・・・実は救ってくれたにもかかわらず私はおばあちゃんに反抗しました。

たぶん父親の言動があまりにもショックで「死んだ方がましだ!」って子供ながらに思っていたと感じています。

小学校高学年・・・自殺未遂的なことを数回繰り返す

両親の離婚が成立した後、弟は父親とそして私は母親と親戚の家で暮らすようになりました。その頃よくおばあちゃんに言われていたことは、「この子は将来どんな子になってしまうのだろう」って心配されていたのをよく覚えています。

また小学校4~5年にかけて自殺未遂的なことを数回繰り返しました。夜、台所に行っては包丁を自分のお腹に刺して、「自分なんて居なくなればいいんだ!」と思い自殺しようとしていましたが、包丁の先が腹に刺さったとき痛すぎて刺し切ることができませんでした。

小心者ですから・・・。

中学生・・・強迫性障害と対人恐怖症に悩まされる日々

精神的なことが影響してか、中学入学時私の身長は135㎝体重は30キロもありませんでした。また便のことに関していつも強迫観念があり、「学校で便が出たらどうしよう皆にバカにされる」といった強迫観念とガスの元栓を何回も何回も確認しなければ家を出ることができなくなってしまった。そのおかげで年間で遅刻を何百回と繰り返していた。

極度の対人恐怖症になり、いつ上級生や同級生の怖そうな人たちに脅かされるのではないかとビクビクして常にこわがって緊張していました。
強迫性障害や対人恐怖症になりましたが、誰にも相談ができず孤独でした。こんな状態ですから、勉強に集中できませんでした。

高校生から20代まで・・・小心者・気が弱いことで自己否定感が強くでてきた。

自分の思ったことを人に言えない、ヤンキーなど強面の人を見ると極度にビビッてしまう。そのため高校生活では、大きな学校であったことも影響し、人見知りが激しい為学校ではいつもビクビクして緊張し、人目が気になっていたので1日も早く卒業したかったですし、私にとって学校は拷問だったですし、何でこんな思いをして毎日を過ごさなければいけないのかとしんどかったです。しかし、退学したら母親が悲しんでしまう・・・だから毎日我慢していました。

この頃から、小心者の自分がいやでたまらず劣等感や自己否定感が強くなり、「自分は生きている価値がない人間だ」と思うようになっていきました。しかし、外見を変えればちょっとは心が強くなれると思い当時流行っていたリーゼントやパンチパーマにもしましたが、内面はまったく変えることはできませんでした。

また20歳をすぎた頃には母親に八つ当たりをして、「なんで俺なんか産んだんだ」って怒鳴っていたくらいです。

結局、私の辛いキモチなんて理解してくれる人なんていないし、受け入れてくれる人もいないと孤独だったので、この世で生きて行くことが辛かったです。

そして幼少期から辛い経験ばかりをしていたそんな自分の経験を克服し、なおかつ活かせるものはないかと試行錯誤した結果、催眠療法(ヒプノセラピー)やNLPの心理学を学ぶ中で、今まであれだけ嫌っていた小心者の自分が可愛く見えるくらいまでなってきました。


以下のページは杉田の壮絶な人生をさらに詳しく物語形式で語られて、解説もしているページです。

自己否定の強い方や「自分は生きる価値がない」「自分なんか消えればいい」と感じられている方には何かを感じていただけるかと思います。

自分なんていなくなればいいと自己肯定感が低い方へ


以下は杉田が今までに取得した認定資格です。

米国NLP協会認定マスタープラクティショナー認定書
米国NLP認定マスタープラクティショナー
(2006年取得)

 

米国NLP協会認定トレーナー
米国NLP協会認定トレーナー
(2007年取得)

 

米国催眠療法協会認定セラピスト
米国催眠療法協会認定セラピスト
(2004年取得)

 

ITTO認定上級ヒプノセラピスト認定書
ITTO認定上級ヒプノセラピスト
(2004年取得)

 

EFTプラクティショナー認定書
EFTプラクティショナー
(2008年取得)

 

 

 

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記事の担当者

この記事は代表の杉田義晴が長年のカウンセリング・セラピー経験と実績を元にして書いています。
 

Posted by expert44