自分なんていなくなればいいと自己否定が強い方

2018年4月14日

自分なんていなくなればいい消えればいい


このページを読まれている方は、多かれ少なかれ生きることに疲れ切ってしまい、生きていくことすらめんどくさくなって、人生にまったく希望を無くしてしまっている方が多いでしょう。

生きていたって何も良いことなどない、自分は生きる価値がない人間だ、自分は何をしても上手くいかない、だから努力したって無駄だ、結局自分はそういった星の下に生まれてきたんだ・・・。と人生を諦めかけてしまい、絶望の淵に立たされ、疎外感、孤独感、劣等感を感じている方がほとんどではないでしょか・・・。

そういった思いが自己無価値感を強めてこの世からいなくなりたい、自分なんていなくなればいい、自分なんて消えればいい、死にたいと思わせてしまっているのかもしれませんね。

もしかしたら、最近「消えたい」「死にたい」と感じている方もおられますし、数年前から、あるいは子供の頃からそう感じている方もいると思います。

そんな方たちにこれからある一人の男の物語をお話していきます。その物語の中には現在のあなたの気持ちを楽にさせる要素が含まれているかもしれませんし、少しでも生きる希望が持てるかもしれませんし、あるいは人生観が変わってしまう方もおられるかもしれません。

またあなたが「自分は生きている価値がない」「自分なんて消えてしまえばいい」と感じている疎外感、孤独感、劣等感などの根本的な原因が明確になり、さらに解決策の大きなヒントを得ることもできるかもしれません。

これはフィクションではなくすべて実話です。

短編小説のような感覚で読まれるといいでしょう。

なお、この文章の中にはNLP(神経言語プログラミング)を使っています。

少しでもあなたのお役に立てるためにこのサイトでは3つ視点からご覧になっていただけると様々なことにお気づきになられるかと感じています。

自分なんていなくなればいいと思っている男の物語案内

①幼少期にトラウマがすり込まれた時期(0~9歳)
②トラウマが影響した時期(10歳~35歳)
③トラウマが回復した時期(36歳~)

これはあくまでもこの男が体験してきたことですので皆さんに当てはまるかどうかはわかりませんのでご了承ください。

ここでいうトラウマとは「自分なんていなくなればいい」「自分なんて消えればいい」「自分は生きる価値が無がない」という価値観を植え付けられてしまった出来事のことです。

 

誕生から不登園と拒食 幼少期トラウマ刷り込み期

 

この男は今から50年以上前に誕生しました。母親のお腹にいるときから、父親との関係が上手くいかずに母親は毎日のようにイライラしていていました。

そして母親のお腹から出てきて、我が子を見た瞬間に母親は「なによ~こんな猿みたいな子嫌だ」と言いました。生まれた瞬間から、歓迎するどころか一番愛してもらいたい母からそんな心無い強烈な一撃をくらってしまった。

よく言われていることで本当かどうかわかりませんが、赤ちゃんは母のお腹に居る時から母の感じている想いや言動などを感じ取るといいます。もし本当にそうだとしたら、この時点でこの子は、すでに自己否定感を植え付けられてしまい、「自分は愛される価値がないからこの世に存在してはいけい」と思い込んでしまった可能性もあります。

どうですか、本当に生まれて3分も経たないうちにこんなふうに思い込んでしまったとしたら、この子の人生は不幸か幸せかといったら、この時点で答えが出てしましますよね。

そして母親はそんな状況の中で子育てを初めました。父親はどうもこの子の内気で気が弱い性格の部分が気に入らずに否定していました。この我が息子に対する否定する責める気持ちが日に日に増していき、それがやがてこの子に一生涯を左右するくらいの強烈な出来事が起こってしまうのです。

しかし、そんな大きな心の傷を負う出来事があるなんてこのときは、知るよしもありませんでした。

この男は幼稚園に行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。性格的には超がつくほど人見知りで臆病、内向的だし気が弱いこともあったのかもしれませんが、それ以上に母親から一時も離れたくなかったんです。

母親から離れると物凄いわけのわからない不安感が襲ってきました。そのときはまだ幼いせいか言葉を上手く表現できなかったのでその強烈な不安を親に伝えることはできませんでした。

仮に伝えたとしても「もっと強くなりなさい」「そんな弱い自分じゃダメだ」「本当にお前は弱いな」と言われれ傷つくことをわかっていたのかもしれません。

ですから、強引に幼稚園に連れていかれる。どれだけそれが辛かったか・・・。その想いをわかってくれる大人は一人もいません。

少しでもその不安な気持ちに寄り添って優しくしてくれる大人が近くにいたら、このときから人生が大きく良い方向へと向かっていったのかもしれない・・・。

そんな心の状況ですから、せっかく母親が作ってくれたお弁当を食べたくても食べることができません。すると帰ったとき恐怖の儀式が待っています。

その恐怖の儀式とは、まず食べれなかったことで怒られ、その後残した食べ物を強引に口を開けられて押し込まれます。食べれない状態でそんなことをされても喉を通るわけありません。

ですから、口に入れられた食べ物を「おえ~」って出してしまうんです。すると「お前は憎たらしい」とすごい勢いで怒られ、また口に入れられる。それが繰り返される。

母親の立場からすると食べないことに心配していたと思いますから必死だったんでしょうね。しかし、その子はそんな母親の想いを考えている暇などありません。それよりも「何で毎日ご飯が食べれないの?」と優しく聞いて欲しかったのでしょう。

これは余談ですが子育ての本などでよく言われていることですが、「3歳までは思いっきり甘えさせる」すると愛情をたっぷりもらった子が育つといいます。まさに「三つ子の魂百までも」ってやつですよね。この理論は正しいと思っています。

そんなこんなで幼稚園のときに弟が生まれました。弟はこの男とはまったく真逆の性格で強く、たくましく、外向的でフレンドリーです。そんな弟は両親はもちろん周りからもとっても可愛がられていました。

特に父親は溺愛するくらい弟を大切にしていました。

なぜ、同じ人間で同じ母から生まれてきたのにこんなに酷く比較されて、弟ばかり両親が可愛がっているのか、幼い子にはわからないですよね。

 

小学生不登校、父親アルコール依存、親の離婚 トラウマ刷り込み期

 

相変わらず学校に行くのが嫌で、母親から離れることへの不安感は消えず、消えるどころかますます不安が強くなるばかり、しかし、不登校すらさせてもらえない日々が続く・・・。

毎日のように家の柱などに捕まって「学校行くのやだ~」って泣いてもわめいても強引に連れていかれる。学校に居るときは一番辛く母親が恋しくて恋しくて、早く会いたくて会いたくて寂しさが限界に達している状態で、とてつもない不安を常に感じて胸が張り裂ける思いを一日中感じながら学校で過ごしていた。

小学校は給食でしたので、それがこの子にとってはそれがまた恐怖の時間でした。当時は出てきた食べ物をすべて食べきらないと最悪放課後まで残されて、嫌いな学校に長い時間居なくてはいけないんです。

案の定毎日、最終時間まで学校に残されてしまい惨めな思いをしていました。

そして自己否定感を強めてしまう将来トラウマとなってしまう出来事が起こったのです。それはある授業参観の日でした。

その子は授業参観の日にも教室で一人で給食を食べていたんです。もちろん授業は容赦なく進められているし、親の皆さんはその教室を見渡しています。それがどれだけ恥ずかしくて、情けなく、惨めでその場から消えたい・・・。そんな辛い気持ちに誰一人として気づいてなかったのかもしれない。

さらに悲劇は襲う・・・?

家に帰ってそんな辛い気持ちをわかってくれるどころか、反対に母親から心の傷を広げられるような強烈な一言を言われる。

「お前だけ一人で給食を食べていて、みっともね~」
(この言い方がとても怒った口調で突き放された感じだった)

この一言は傷ついた心にさらにダメ押しをされてしまい、さらに「自分なんていなくなればいいんだ」「自分なんて生きていちゃいけない」といった思いをさらに強めてしまった。

食べれなかったのはすでにこの出来事が起こる以前に「自分は消えたい、この世に存在してはいけない」「自分は生きている価値がない」と無意識レベルで思っていたのでしょうね。

「食べることは生きること」
「食べないことは死ねること」

幼い子が無意識のうちにこんな想いをもっていたのかもれない・・・。
ところがこの想いが的中してしまう出来事がこの後、起こってしまうのです。

一方父親からは毎日のように「お前は俺の子じゃない!」「女みたいにぐちぐちしやがって」「お前は本当に意気地がない」って言われ続けていた。それも父親のヒザの上にはいつも弟がのっている。

その状況で罵られ、さらにヒザの上にのっている弟には「お前はオレの子だ!」「お前は勇気ある」「お前は男だ」と言っている。

その儀式はほとんど毎日のように行われる。

そして兄である8歳前後の男の子がそれを見て聞いて感じている。

そんなことを毎日のようにされたら、どれだけ自分はいらない存在だと思ってしまい劣等感や孤独感、疎外感を植え付けられても当然です。

それもそんな状況を母親は見ているんですよ。それなのに一言も温かい思いやりある優しい言葉をかけてくれない。少しもフォローしてくれない。

たぶんそれは父親がアルコール依存で昼間から酒を飲んでは暴れて母親に暴力をふるって自分の身を守るのが精一杯で余裕がなかったのかもしれませんね。

父親が酒を飲み暴れて母親に暴力をふるっているとき、この男は二階のベッドで怖くて怯えていました。いつ父親が自分のところに来て暴力をふるってくるのか・・・。

だって、怯えているとき母親の悲鳴と食器が割れる音など家中に響き渡っている。8歳前後の子にとっては、すごく恐ろし光景だったんでしょうね。

そしてある日の朝、この男が起きて一階の部屋を見て呆然とした・・・。床にはマッチ棒、食器、物が散乱して、イスなどもひっくり返って、足の踏み場もないほどに無残な空間になっていた。そこには母親の姿はなく、父親が我に返って部屋を片づけていました。母親は昨日の父親からの暴力で実家に避難していたんです。

子供には無条件の親の愛情が必要

子どもの心が健全に育っていくためにも心の底から安心できる場所が絶対に必要です。

反対に居場所がなく不安や恐怖心などを感じながら、育っていってしまうと自己否定感が強まっていってしまい、その想いが大人になるにつれて自分で自分を苦しめてしまうことになり、幸福感がどんどん遠ざかっていってしまいます。

ある日からオレなんかがごはんを食べてもいいのだろうか・・・。と思ったことも多々あった。

それくらい自分なんて消えればいいという自己否定感が強かった。

話を戻しますね。それから数か月が過ぎて、両親が離婚をするということになりました。親権問題でかなりもめにもめました。それは父親が離婚への条件を出してきたのです。

その条件は弟を一緒に連れていく、弟を絶対に譲らないということでした。

しかし、母親は弟を離したくありませんでした。それは当時のこの男から見ても強くそれを感じていました。

その話し合いの場にこの男も参加していましたがこのとき・・・。
(父親、母親、祖母、この男が話し合いに参加していた)

心に大きな後遺症として一生涯残ってしまうほどの衝撃的な出来事がこの男を襲う!

それは親権問題の話になったとき父か母か、どっちが子を引き取るかという話になりました。そのときこの男は父親から目の前で「お前はいらない」と言われ、次に「お前みたいな意気地なしは刺す」と言われてしまい、近くにあった刃物でお腹を刺そうとしたのです。

ところがその男はまったく動こうともせず、まるで「そんなに必要ないのなら殺してくれ」と言って言うようにも見えました。

それを見たおばあちゃんがすぐに立ち上がってその男を抱きかかえながら、「酷いことをしやがるな~」と言いながら安全なところへ避難させました。

ところがその男は、おばあちゃんに抱きかかえられて助けてもらっているとき、足をバタバタさせて、心の中では「おばあちゃん離して、もう殺してくれ」って言っていました。

たぶん父親の言動があまりにもショックで「死んだ方がましだ!」って子供ながらに思っていたんでしょうね。その出来事以前から、酷い扱いを受けていましたからね。

それがさっき言っていた「食べることは生きること」「食べないことは死ねること」の意味が、この出来事でも証明されたのではないでしょうか・・。

そう、すでにこの男は9歳のときから「自分なんて消えればいい、自分なんて生きている価値がない、自分はいらない人間」といった疎外感、孤独感、劣等感などが心に強く刻まれていってしまったのです。

その後、両親は離婚し父親と弟が一緒に生活をして、その男と母親は親戚である祖母の家で暮らすことになりました。

 

小学校高学年で自殺未遂 トラウマが影響した時期

 

親戚の家で暮らし始めて、その男は今までの感情が溜まっていたのか、手に負えない子になっていきました。反抗的で理屈っぽく、暴力的になっていったような気がします。

学校ではある女の子をはたきの棒でたたいたり、家では貯金箱からお金を盗んだりしたこともありました。ですから、おばあちゃんが「この子は将来どんな大人になっていくんだろう、恐ろしい~」って言っていたくらいです。

それくらい今まで愛して欲しい親から自分の存在を否定され続けられたことで、子ども心に大きなストレスの負担がかかってしまっていた。そして、そのストレスを発散しようと思っても父親が怖すぎて何もできずにただひたすら我慢するしかなかった・・・。

しかし、父親から解放されてやっと自分の思いを表現できる環境になったけど、子どもにはその想いをどう正確に表現したらいいのかまだわかりませんよね。まして、今まで自分の気持ちや感情をまったく肯定されることなく育ってしまった子どもには・・・。

もちろんその男は大人になるにつれて、はたきの棒でたたいてしまった女の子に対して「心身ともに傷つけてすごく辛い思いをさせてしまった」という強い罪悪感と取り返しのつかないことをしたという想いでいっぱいだと語っています。

 

父親が弟を連れ戻した事件

当時、その男は母親を喜ばすために弟を親戚の家に連れてきたのです。なぜかというと、母親は離れている弟を心配して恋しがっていたのを知っていたからです。

しかし、それがまた衝撃的な出来事を引き起こしてしまったんです。弟が来て15分もしないうちに父親が車で来て弟を連れ戻しにきたのです。その男にとって一生涯忘れたくても決して忘れることができないトラウマ的な出来事になってしまいました。

父親が来て車を降りるなり、すぐに弟の左手を引っ張って連れ戻そうとしている。しかし、母親も負けじと弟の右手を引っ張って対抗する。

まさに弟の体が二つに引き裂かれんばかりの勢いでお互いが絶対に渡してたまるかという思いで引っ張り合っている。当然、5歳に満たない弟は泣き叫んでいる。

その凄まじい光景を見ていた当時9歳のその男は一人で泣いていた。

そしてその男は

「何で自分はお父さんとお母さんと弟と一緒に仲良く居たいのにこんなことになるんだ」
「弟はお父さんもお母さんも必要としているのに自分は必要とされていない・・・やっぱり自分は生まれてきてはいけなかったんだ」と思っていたそうです。

そして弟が父親に連れ去られてしまった後、誰も居ない梨畑の隅であまりにも悲しくて一人で泣いていた。しかし、そんな悲しみを周りの大人は誰一人として気づいていない・・・。

大人から見るとただ、両親が自分の子どもを取り合っている状況ですから、まさかその男の心がここまで傷ついているとは気づきにくいのかもしれません。

ところが子供は大人と違った心の感覚を感じているんだと気づかれた方も多いのではないでしょか・・・。

 

母親熱湯かけ事件

この事件はある夕食の時間に起こりました。その男が母親の言うことをきかなかったのかは詳しく覚えていませんが、以下がそのときの会話です。

母「憎たらしいなお前は、熱湯かけるぞ」
男「やってみろ」
母「じゃーかけるよ」

これで本当に背中に熱湯をかけられてしまい、その男は熱くて我慢できずに大泣きしてしましました。それを見ていた母親は「お前がかけろと言ったからかけた」とまったく悪気もなく反省もしていませんでした。

しかし、近くにいたおばあちゃんが母親に「子供になんて酷いことするんだ、お前は!」と言ってくれて、その男の上着を脱がせて背中を冷やしてくれたのです。

元々母親は愛情深い人なんですけど、ヒステリックで自分が思うようにならないと癇癪を起すような性格なので、その男は母親に対してもいつ怒られるのではないかと毎日ビクビクしていました。

その証拠に大人になったときでも母親の突然のくしゃみを聞いただけで心が乱れるほど「ビクッ」としてしまいちょっとした恐怖心を感じていたそうです。

 

小4~強い自殺願望を行動に移す

この頃から「自分は消えたい」「自分なんていなくなればいい」「自分は死にたい」と強く思うようになってきたとこの男は言っています。

ですから、自殺未遂的なことを数回繰り返しました。夜、台所に行っては包丁を自分のお腹に刺して、「自分なんて居なくなればいいんだ!」と思い自殺しようとしていましたが、包丁の先が腹に刺さったとき痛すぎて刺し切ることができなかった。

しかし、客観的に見ると10歳くらいの男の子が夜台所に行って暗いところで包丁を持ち自分の腹を刺している・・・。その行為が恐ろしいと思いませんか?

またこの子は「自分なんていなくなればいい」というネガティブな想いを背負いながらこれから長い人生を歩んでいかなければなりません。この時点ですでに目に見えない心の病に感染している状態とも言えます。

その心の病感染が中学生から、心の障害となって表れてきてしまうのです。

しかし、父親と離れて親戚の家で暮らすようになってすごくすごく助かったこともあったとこの男は語っています。それはおじいちゃんとおばあちゃんの存在です。

その当時、母親は色々なストレスのせいかわかりませんが友達の家に行くことが多く帰りが遅かったです。ですから、その男はおばあちゃんと一緒に寝るようになったのです。

おばあちゃんは寝る前に昔話をしてくれて、その話を聞きながら寝るのがすごくリッラクス出来て安心して過ごせました。ときには背中をさすってくれたりしてくれたことが非常にありがたいと感じています。

でも両親からされた心の虐待はそれだけでは癒えることはなく、ときには優しくしてくれるおばあちゃんに対して反抗して酷い言動をしてしまったことも多々ありました。

それでもおばあちゃんは優しくしてくれました。もしかしたらそれは甘えだったのかもしれませんね。

そうはいっても、もしおばあちゃんとのその時間がなかったら、もしかしたらこの男は若くして犯罪者になっていたかもしれません。それくらいその男にとっておばあちゃんと過ごせた時間は貴重でした。

親戚の家で過ごすようになってからは、学校に行くことも以前と比べればフットワークが軽くなってきました。

だんだん給食も残さずに食べれるようにもなってきたのもこの頃ですね。

 

強迫性障害と対人恐怖症に苦しむ トラウマが影響した時期②

 

今まで両親から傷つけられた心の傷が症状として顕著に痛み出したのはこの頃でした。その男の中学入学時は身長135㎝、体重30キロも満たない状態です。どう考えても栄養失調みたいな感じです。それくらい精神的なことは体にも大きな影響を与えます。

そして一番悩まされたのが、2つの強迫観念です。

これは中2くらいから出てきた症状です。

その一つが便のことです
「学校の便所でうんこをしっているところを見られたくない」という思いが異常なくらい強かったです。ですから、学校に居る時はそのことが片時も頭から離れずに学校生活を送っていましたので、そんな状況で授業に集中できると思いますか?

また給食の時間がすごく嫌で「食べ物を食べてしまったら、うんこが出てしまうのではないか」という強迫観念も強かったので味わって食べることなどできません。それよりもドキドキし緊張しながら給食の時間を過ごしていたことが辛かった。

もう一つの強迫観念はガスの元栓です。

ガスの元栓がしっかりと締まっていなくて、ガスが漏れてしまい爆発したらどうしようという強迫観念がまたその男を苦しめました。

学校に行く前に必ずガスの元栓を何回も何回も確認しなければ家を出ることができなくなってしまったおかげで年間で遅刻を何百回と繰り返していた。

普通の中学生には考えられないと思いますが、その男は学校に行くという簡単な行動ですらこの2つの強迫観念があったおかげで、こんなにも全神経を使い苦労して家を出なければいけなかったのです。

ですから、この頃から部活(バスケ)の朝の練習は参加することができなくなりました。

そしてこれだけではなくもう一つ悩まされる症状がありました。

 

それは対人恐怖症

特に体や声が大きかったり、口調が荒かったり、外見が怖そうな男に恐怖を常に感じていました。ですから、いつ上級生や同級生の怖そうな人たちに脅かされるのではないかと心の中では常にビクビクして緊張してこわがっていました。

このようにこの男は中学生のときから、強迫性障害や対人恐怖症になりましたが、誰にも相談ができず孤独でこの症状と毎日戦っていました。またこんな状態ですから、勉強や部活(バスケ)遊びにも集中できるわけありません。

そんな中この男は、こんな心の状況にも関わらず家庭内のことも心配していました。母子家庭でお金が無いということがわかっていたので、何とか母親の金銭的な負担を軽減しようと思い私立よりも県立高校へ入学できるように勉強も自分なりに頑張りましたが、精神的なことで毎日体力を使い果たしてしまっていますから、すぐに眠くなってしまい思うように勉強することができませんでした。

 

同級生から同級生と見られない劣等感

この頃は、体が極端に小さかったせいか「かわいい」みたいな感じで周りから思われていたみたいでそれがまた嫌だったみたいです。なぜかというと、同級生なのに同級生と見られていないことが嫌だった・・・学生時代がクラスの皆と唯一上下関係がないときなのに見下されていたような感覚を感じながら過ごしていました。

学生のときは、嫌でも周りの子たちとの差が明確になっています。学力やスポーツ、人気がある、異性にもてる、絵が上手い、何かで表彰されたなど色々ありますがこの男は何をやってもビり争いをするくらいの能力です。ですから、こういったところでも自信のなさと劣等感をどんどん植え付けられてしまったのです。

しかし、ここで言えることが一つあります。
もしこの男が両親からたっぷりと愛情をもらっていたら結果は違っていたでしょう!

 

スポーツにも悪影響?

たぶんこの話はあまり聞いたことがないような話かもしれません。

親の愛情が足りずに育ってしまった子は自己評価が低く特に団体スポーツで普段の力をまったく発揮できない状態になりやすい!

これはこの男が証明してくれています。

この男は部活でバスケをやっていましたが、練習のときはまだいいのですが試合になると自分がボールを持ったときにドリブルをして抜いていっていいのだろうか?誰にパスすればいいのだろうか?自分がシュートを打ってもいいのだろうか?

こんなことを常に考えながらプレーしていては自分の良いプレーなんてできるはずありませんよね。特にシュートを打つときなんかは、自分なんかがシュートを打ってもいいのだろうか?と心に強く思っていたそうです。

この想いはすべて自信のなさと自己評価の低さからきている可能性があります。

スポーツの世界はメンタルがとても重要だと言われていますが、幼少期の親の接し方一つでこんなにも子どもに悪影響を及ぼしてしまいます。

もちろんこの男は補欠で試合に出られたのは3年間で数えるくらいしかありません。

余談ですがオリンピックで金メダルと取っている選手たちは、めちゃくちゃ自己評価が高く自分のことが大好きだそうです。

 

極度の対人恐怖症と母親への依存と怒り トラウマが影響した時期②

 

対人恐怖症が最も強く出てきたのが高校生の頃からです。高校に入学してから毎日のように「学校辞めたい」と思い続けていましたが、せっかく高いお金を払ってくれた母親に申し訳ないという思いで何とか踏ん張っていました。

人見知りが激しいことと自分の思ったことが言えずにモヤモヤしていましたし、それ以上にヤンキーなど強面の人を見ると極度にビビッてしまい怖がっている弱い自分が表面化してきました。

ときにはヤンキーの同級生に恐喝されたことも何度もありました。そのとき心の中では「この野郎ぶっ飛ばしてやろか~」と思っているにも関わらず気がつくと体が震えてビビッてしまいどうにも反発することもできませんでした。

またその男はそんな自分が情けなくて自分が大嫌いでした。

 

重要ポイント(父親のトラウマの影響)

この男は何でここまで必要以上にヤンキーに震えるくらいビビッてしまったのか?それは父親がこの男が幼いときから極度に嫌い怖がらせて、暴言や刃物で腹を刺そうとしていたことが大きく影響している。またその怖い記憶が鮮明残ってしまっている。

その男の脳は父親=ヤンキーと認識してしまっているのかもしれない。なぜかというと、強面の父親と強面のヤンキーは似ているから・・・。

そのため高校生活では、大きな学校であったことも影響し、学校に居る時は常にビクビクして緊張していました。そんな不安定な毎日ですから、1日も早く卒業したかった。まさにその男にとって学校は拷問と言っていいでしょう。

この頃からだんだん、小心者の自分が嫌でたまらず劣等感や自己否定感が強くなり、「自分は生きている価値がない人間だ」と強く思うようになっていきました。

しかし、外見を変えればちょっとは心が強くなれると思い当時流行っていたリーゼントやパンチパーマにもしましたが、残念ながら気が弱い部分の内面はまったく変えることはできませんでした。

 

18歳のとき父親が亡くなる

高校を卒業して社会人になり少ししたとき、父親が亡くなったという知らせを受けた。しかし、その男は父親に捨てられたと思い込んでいたし、離婚してから1度も会にすら来てくれないし連絡もまったくないそんな父親が亡くなっても葬儀にもいかず、涙1滴も流すことはありませんでした。

父親が亡くなり、弟が14歳の時に家に来ました。不思議と10年近く会っていなくてもまったく違和感なく暮らせました。ところが弟は地元では有名な超スーパーヤンキーで特に3年間くらい母親を困らせまくりました。

母親は困り果てて自分一人では対応でなくて、今度はその男に頼りだしたのです。ところがその男は頼ってくる母親に腹を立てていました。

今まで父親に酷いことをされ続けられてビクビク怯えていたり、不登校などで精神的に不安で苦しんでいるときに助けてくれるどころか、ヒステリックで人格否定をされるくらい責め立てられたからです。

自分が心の底から助けてほしいときに助けてくれなかった・・・そんな想いが残っていたのでしょうね。

またこの頃は母親の父親役を背負わされて、そんな思いが母親への怒りを感じていたようだったともその男は語っていました。

そして20歳~27歳くらいまで母親に八つ当たりをして、「なんで俺なんか産んだんだ」って怒鳴っていたくらいです。この時期は今まで抑えられていた想いや感情が爆発していました。それは遅くやってきた第一次反抗期だったのかもしれませんね。

しかし、裏の心理を考えると母親に対する「甘えられなかった想い」が心の奥底で悲鳴を上げていたのかもしれません。


恋愛が上手くいかない

この男は30代後半までまったく恋愛が上手くいきません。ですから、ふられてしまう確率100%でした。おそらくその原因は、母親に甘えられなかった寂しい想いや甘えたくて甘えたくてどうしようもない心の叫びがすべて付き合ってくれている彼女に向けられてしまっていたのでしょうね。

そんな心の状況ですから、自分の気持ちばかりが優先して彼女の気持ちをまったく想える余裕もなく、常に自分の気持ちをわかって欲しいという、まるで子どもみたいなわがままな感覚だったのかもしれません。

ですから、その男は無意識のうちに彼女に対して母親にしてもらいたかったことを求め続けて、「オレを見て、オレをもっと見て、ねえ見て見て」と心の中で叫んで幼少期に得られなかった愛情をここぞとばかりに得ようとしていたと考えられます。

もちろん大人になった男性がここまで彼女に母親像をこれだけ求めていたのでは彼女ばかりが負担になってしまい嫌になってしまいますよね。

子どもって「お母さん見てて、ちゃんと見てよ」みたいなことって頻繁に言いませんか?

もしかしたら、それと同じような心理状態に近いかもしれませんね。それはその男が元々ダメ人間だったわけではなく、母親からの無条件の愛情を得られなかったために恋愛にも悪影響を及ぼしていたのです。


自立心が育っていないのでメンタルが弱く夢が叶えにくい

その男は20歳の時にあるプロスポーツの世界を目指すために高校卒業後勤めていた会社をスパッと辞めました。正直、体が小さいため入門すら非常に難しい世界です。しかしその男は日々努力して体を大きくして何とか入門を果たしました。

この世界は超縦社会で非常に厳しいことで有名です。ところがその男は入門後すぐに体を壊されてしまったのです。厳しい練習には何とか耐えることはできましたが、心理的に耐えられないと実感していました。

なぜかというと、先輩のきつい一言などを言われたときそれだけで心が大きく乱れて心細くなり、母親が恋しくなってしまったです。

この心の状況はこのページでもお話した小学校に居るとき母親が恋しくて恋しくて、早く会いたくて会いたくて、愛情に包まれたい・・・そんな想いに体も心も支配されてしまい、まるで小学生の頃の状態に心が戻ってしまったような感覚です。

もうこのモードになってしまうと不安ばかりが大きくなってしまい意識ではほとんどコントロールできなくなってしまうのでどうすることもできませんでした。

もし周りの人にこの話をしたら、「気合いが足りない」「自立ができていない」「根性がなさすぎる」「心が弱い」「忍耐力がない」みたいなことを言われてしまうでしょうね。

そんなことは本人が一番わかっていますし、本人がそんな自分を惨めで情けないと感じている。

しかし、どうにかする手段は何もなかったから悩んだ。本人が言ってるように肉体的な練習の厳しさよりもメンタル・・・。

結局、その男はどうにもできなくて「この世界は自分には向かない」と思いその夢を諦めました。

今だから言えますがもし両親から愛情をたっぷりもらっていたらこんな結果にならなかったかもしれませんね。

それ以来、その男は肉体的な厳しさには忍耐力があるとわかったこともあったので一人で筋トレを初めて筋肉とパワーをつけるために日々努力をし続けました。

努力した成果が表れてきたおかげで徐々に自分に自信を持てるようになってきました。

しかし、相変わらず父親に似たような強面の雰囲気を出している男性に対してのビビリは納まることを知りません。それがまた自分の劣等感を強めていきました。


人間関係や仕事にも悪影響

人間関係や仕事の問題は2つあります。

一つ目は自分が思っていることを言えない

両親からの愛情が欠乏した影響か、自分が思っていることを人に言えないことが非常にあり、自分をぜんぜん出せないことで心がモヤモヤして悩む日々が続く。

自分の思いを他人に伝えることを恐れて、異常なまでに恥ずかしがっているような状態なので自分の判断力にも自信をもてず仕事中もよく怒られた。

特に土木の仕事をしているときは、大きな声を出してダンプを誘導したりすることが苦手だったし、自分から率先して作業をする場面が多かったのですが、「自分が今この作業をしてもいいのだろうか」と思ってしまうのでもたもたしていますから、周りからは「使えない奴、気が利かない奴」と思われていました。

これは中学時代のバスケの話「ここで自分がシュート打ってもいいのだろうか」と感じていた心の状態に近いですね。

ですから、ある土木の現場の社長から「あいつはもうこさせないでくれ」と言われその現場を首になったこともありました。

このように自分の判断で自分を出すことに何らかの恐怖心を感じていたと考えれます。こんな心の状態でいい仕事なんてできるわけありませんよね。

しかし、本人はその当時そういった心理状態であることをまったく知らないし理解していなかったので自分を責め続けて劣等感が強まるばかりでした。

二つ目は切れかかると我を見失い毒舌を吐く(文句を言ってしまう)

おそらくこれは一つ目の問題で自分が思っていることが言えずに我慢していることが行き場を失い爆発している状態かもしれませんね。

この悪い癖は職場の上司に対しても出てしまうことが多々ありました。たった2年半の短いサラリーマン生活の中でも職場を飛ばされることもありました。

それはそうですよね、サラリーマンの世界は上司に逆らえば人事異動させられることが多いですからね。

この男が20代前半のとき親友と思っていた友達から遠まわしで「あいつとは友達をやめようと思っている」と言われたこともあります。

そのときは何で友達があんなことを言ってきたのか、想像もつかなかったそうです。

それくらいこの時期は自己中で自分のことだけしか考えられない余裕のない心の状態だったんでしょうね。


惨めで情けなかったあの時期

これは35歳のときからアルバイトをしていたときの話です。あるおばちゃんから「あの人気持ち悪くない」と数人の方に言っているところを目撃してしまったんです。

しかし、そのときこの男は不思議と怒りも湧いてきませんでした。それよりも、「それはそうだよな、この年で時給800円、貯金もゼロ、未婚者、おまけに若ハゲ、これじゃーキモイと言われても仕方ない」と感じていました。

同じアルバイトをしている人たちの年齢は、大学生や主婦が多く20代がほとんどでしたから、パートのおばちゃんから見れば「35歳にもなってこんなところでアルバイトして何やってんだ」と思われても不思議ではないですよね。

おそらく周りのアルバイト学生たちからもバカにされていたのかもしれませんね。

朝8時から夜8時まで忙しいときは働いていました。けどこれだけ働いても月20万に届かない生活を送っていました。

しかし、それからその男はメンタル系の仕事を立ち上げようと心の決め、まずは資金面や技術面の習得など色々と計画を立てていったのです。

この頃からちょこちょことメンタル系の勉強もし始めて「ありのままの自分を受け入れる」という大切さを知りました。それを知ってから、数か月後やっとこの男は自分のハゲ頭を受け入れることができたのです。

不思議なことにハゲ頭を自分で受け入れたら、奇跡的なことが起こりました。それはなんと、、、17歳も年下の女の子から告られたのです。

その男はその子に「オレハゲてるけどいいの?」と聞いたら、その彼女が「いいよ」って言ってくれたのです。

世の中のハゲの男性諸君、ハゲていても彼女はできます(笑)

 

トラウマが回復した時期

 

さすがに時給800円では貯金をためることは難しいので、37歳から約1年半くらい開業資金をためるため日給がよい土木の仕事をまた始めました。

その男の弟が土木業界の社長をしているので兄のプライドを捨て使ってもらいました。

この頃は仕事が終わった後、疲れた体にムチ打って最低でも2~3時間は開業するために勉強をしていました。

それとこの頃から、「自分は生きる価値がない」「自分なんていなくてもいい」「自分なんて消えればいい」と思い込んでいる自分を克服しようと自分で自分に心理療法を毎日コツコツと行っていました。

それがまた勉強していることと深くつながりがあったので一石二鳥だったらしいです。

 

一人インナーチャイルドセラピーを行った日々

自分で勉強してわかったことは、どうやら「自分は生きる価値がない」と思い込んでしまったのは幼少期の親子関係が原因だったとわかり、その部分を克服し幼少期の自分と向き合っていくのにインナーチャイルドセラピーが一番よいとわかったのでそのセラピーを自分でやってみました。

本に書いてある内容だけではなかなか難しい面もあったのですが、その男は自分なりに試行錯誤して実践していきました。

その結果、だんだん自分のことを責めなくなって自分自身のことを肯定的に感じられるようになっていきました。

今までは子どもの頃の不快な出来事を思い出しては「自分なんていなくなれいいんだ」と思ってしまい涙が止まらず自己否定感が強まっていたのですが、それが驚くことに思い出してもまったく涙も出なくなり、何も感じなくなっていったのです。

こうやって開業する前に自分で自分にセラピーをしまくっていた結果、両親に対しての様々なわだかまりみたいなとても大きくて固い氷が徐々に溶けだして日に日に生きるのが楽しくなってきました。

 

EFTタッピングセラピーを行った日々

父親に対してのトラウマ的な出来事は、NLP(神経言語プログラミング)を使ってかなり楽になってきたのですが、さらにもう一歩良くなりたいと思いEFTを試しに行っていきました。

そして最後に出てきた言葉が「僕はお父さんに大切にしてもらいたかった」この一言が心の中に浮かんできたのですが、この言葉を言おうとすると涙が出てきて言えなくなってしまう・・・。

しかし、その男は勇気をふりしぼってこの言葉を言いながら「悲しかった」という想いも込めてタッピングしたら、何と奇跡が起こりました。

だって、幼いときから人格否定されるような酷いことを言われ続けられて、挙句の果てには刃物で刺されそうになった。そんなことをしてくる人には憎しみや怒り、許せない気持ちしかないと思いませんか?

しかし、「お父さんに大切にしてもらいたかった」という本音が出てきた。

子どもはどんな親だろうがやっぱり親が大好きなんですね。

その後、弟に電話してこんな会話をしていました。
兄「やっと親父を許せるようになった」
弟「マジで~何が起こったんだよ」
兄「親父のお墓参りをしたいから墓地を教えてくれ」
弟「まさか兄貴からそんな言葉が出てくるとはおもわなかった。何かオレも嬉しい」

と、まーこんな会話をしました。

数日して弟が家に来てくれて本音でこんなことも語りました。

「親父は離婚してからも兄貴の悪口をよく言っていた『あいつはオレの子じゃない、意気地なしで情けないやつだ』ってね。オレは子供ながら何で自分の子にそんな酷いことを言うのか理解できなかったから言われるたびに嫌な想いをしていた」

そのときその男は目頭が熱くなっていた。それは弟が自分の味方をしてくれていたんだという想いを感じたからだ。

インナーチャイルドセラピーやNLP、EFTを自分が自分に行っていったことにより、自分を責めることが激減し自己肯定感が高まってきました。

よく言われる「ありのままの自分を受け入れる」ことができるようになったんですね。

その結果、人間関係や恋愛も以前に比べれば格段に上手くいくようになってきました。

こういった経験を得てその男は悲願でもあった本の出版も2012年に自費出版ではなく商業出版として祥伝社さんにお世話になった。

そして今年で開業して14年目を迎える。(2017年現在)


この記事を読まれて改めて「自分なんていなくなればいい」自分なんて消えればいい」「自分は生きる価値がない人間だ」と感じたれた方は是非、以下の2つのページもご覧になってみることをお奨めします。

幼少期トラウマかもしれない克服のためのポイントが見つかるかも・・・

親が憎い許せない方の専門ページ

自己否定に関連するカウンセリングセラピー体験談


 

NLPカウンセリングセラピーのご案内

NLPカウンセラー杉田のプロフィール

症状別カウンセリングセラピー体験談

NLPカウンセリング料金システム

手法する心のオペ内容

カウンセリングのご予約とお問合せ

 

Posted by expert44